ナポリタン

 

荒く切った玉ねぎと、細切りのピーマンと、

斜めに切ったウインナー

粗挽き胡椒とバジル、

ケチャップと少しの醤油で味付けされて

にんにく多め、目玉焼き付き

 

どんな料理にも チューブのにんにくじゃなくて、大きめに刻んだものが入っていました

 

この数年間で一番食べ慣れた、大好きな味

 

 

いつでもお酒に合う美味しいごはんを作ってくれた

 

そんなことも最後になりました

 

ナポリタンの上に乗っている目玉焼きが好きな自分のために ひと手間加えてくれる優しいところ、自分が美味しいと言って食べているのを見て 嬉しそうに微笑みながらお酒を飲んでいる あたたかいところ、つい沢山食べさせたくなるって 目線から自分のことが好きなんだと伝わってくる分かりやすいところ

 

本当に、大好きでした

 

 

正直、大好きとか そんな言葉ではあらわせるような感情でも期間でもなかったけれど、本当に、大好きだったんです

 

 

ずっと一緒に居ると思っていたし、このまま結婚して子どもができて おじいちゃんおばあちゃんになってもなんだかんだ言いながら仲良しで、好きなまま死ぬんだと思っていました

 

 

残念ながら、そうではなかったけど

 

 

したいことも行きたいところもまだ沢山あって、4年ではやっぱり全然足りなくて もっと一緒に居たらなにか変わったのかもしれない

 

あのとき 自分がこうしていたら、ああしていたらお互いに傷つくことなく今も過ごせていたかもしれない

 

ふとした時に そんなタラレバだけが思い浮かぶ日々

 

 

自分は、どうすればよかったのでしょうか

 

 

寒空の下、ベランダに出て目の前の線路を走る電車を目で追いながら 煙草に火をつけました

 

紙の煙草を嫌っていることを知っていたのに それでも自分は吸い続けていたから、辞めようとしなかったから、その時にはもう気持ちは冷めてしまっていたのだと思います

 

 

あの人と過ごした4年間を思うと、辛いことも本当にたくさんあったけれど、間違いなく幸せで 感情や考え方、行動もすべてをよく理解し合ったり共有したりしていた、はずでした

 

 

自分は、何処で間違えたのでしょうか

 

 

つらそうで すぐにでも泣き出してしまいそうな顔も、声を殺しながら泣く姿も、これからも一緒に居たいと縋ってくる手も、全部全部全部、

 

こんなふうになりたかったわけじゃない

 

 

ただ、自分もずっと一緒にいたかった

 

人の気持ちってどうしてこんなにも残酷に変化していくんだろうって、何度も何度も思いました

 

 

 

どれだけ自分が想われているのか、最後まで分かってあげられなかった

 

不器用なりに、たくさん言葉や行動で示してくれていたのに自信のない自分は それを信じてあげられなかった

 

自分よりやさしくて、よく笑ってよく食べて、誰よりもあの人を想っていて、甘えさせてあげられる そんな新しい誰かとどうか幸せになってほしい

 

 

 

 

302号室の貴方へ

 

本当は、わたしが世界でいちばんの幸せをあげたかったよ

 

最後までわがままで、ごめんね

 

わたしじゃない誰かにも弱さを見せられるようになってね

 

ちゃんとごはんを食べて、あたたかい布団で身体を休めてね

 

本当に大好きだったよ

 

思い出のなかの自分の気持ちだけは、これからも変わることはありません

 

本当に、ごめんね

 

貴方の彼女で幸せでした

 

たくさん大切にしてくれて、ありがとう

 

だれよりも幸せになってね

 

大好きだよ

 

 

 

 

 

 

生と死

 

二十歳の誕生日、まず なにを思いましたか?

 

自分は「死ななかった、20年間ちゃんと生きた」と思って、はっきりした理由はわからないけど 沢山泣きました。次の日に鏡を見たら誰が映っているかわからないほど目が腫れるまで泣きました。

 

それでも少し経った今、現在、この瞬間は とんでもなく死んでしまいたい もう消えて居なくなってしまいたい

 

そう思っています

 

こんなものを見たら、自分を好きでいてくれる人たちはきっと悲しい顔をするんだろうなと思います。

 

 

何があったときに死にたいと思いますか?

 

何があったときに もう消えてしまいたいって、
自分のLINEもその他SNSも電話番号も消そうと、
周りの人たちの前から居なくなろうとしましたか?

このまま死ぬなら部屋を片付けておこうとか、
最後に手紙だけでも残そうと書いたとか、
そういうのを、何があったときにしましたか?

 

 

自分はもうひとりでは立っていることができなくて、誰かの助けがないと生きられなくて いつの間にかこんなにも弱い人間になっていました

 

 

 

死にたいなって思いながら電車に揺られて、
死にたいなって思いながら家まで歩いて、
死にたいなって思いながら洗濯物を干しました

 

 

死にたいって本気で思っている人は
家に着いてすぐ洗濯機をまわして
40分待って、洗濯物を干したりするのかな

 

でも やらなきゃ明日の自分が困るから、やりました

 

こんな自分、って思いながらやりました

 

いつまで経っても周りの色んな人に心配をかけてる
そんな自分が心の底から嫌になります


ひとりで潰れてしまいそうになる一歩手前になるまで誰かに頼ることができない自分が、
頑張るって言い聞かせながらも頑張れない自分が、
弱くて弱くてひとりで立っていられない自分が、
謝ることしかできないような人生を歩んでいる自分が。

 

本当に本当に 嫌になります。

 

 

お母さん、おばあちゃん、

死んじゃったおじいちゃん、

ごめんなさい。

 

 

こんな娘で、こんな孫で、

こんな生き方しかできなくて

ごめんなさい。

 

 

自分で命を絶とうとすることは 良いことではないけれど、そういうことを考えてしまうこんな人生には さっさと終止符を打ってしまった方がいいのかもしれません

 

 

すこし頭がふわふわします

 

もうなにも考えられない

もうなにも考えたくない

 

このまま眠りについて、

ずっと、

目覚めなければいいのに

 

 

シャンプーの匂いが消えないうちに

 

自分の思っていることを きちんと言葉にして伝えることができる人って本当にすごくて、そういうことができる人はだれかの気持ちを読み取ることも上手い

 

きっと自分にはそれがあまりできていなくて、伝えることはできるけれど 言葉にするにもたくさん時間がかかって、頭のなかを整理するのってむずかしい

 

 

 

自分のすぐそばに居る 、やさしくてあたたかい言葉で話すあの人は 思っていることをその時に伝えてくれて、自分がなにかを言うと「言ってくれてありがとう」って返してくれます

 

そうして話していると、この人はきっと今まで色んなことがあったから こうして沢山のことに気付けたり誰かにやさしくできたりするんだろうなって思うと同時に、そんな人に大切にされることがすごく幸せであることを実感するんです

 

自分のことをすべて知ってくれているとは思わないし、自分もこの人のことをよく知っていると自信をもって言えるわけではないけれど、これから知ることができると思うと すこし胸が弾みます

 

 

いつもありがとう とか、伝えてくれてありがとう とか そういう些細なことでも一つ一つを伝えてくれるからこそ 離れていても いつもやさしさを感じられて、声を聞いているだけで安心感につつまれます

 

 

こんなに素敵な人に大切にされて、毎日がぽかぽかとあたたかくて 一緒に頑張ろうねって言いあえる日々を今の自分はなによりも大切にしたくて、自分がこの人を幸せにしてあげたい

 

 

特別なことがなくても おなじ部屋で 隣に座ってうとうとする彼の髪をすこし撫でて、眠っていいよってひざをかしたり、今日も暑いねって言いながら ひっついてアイスを食べたり、仕事がおわる頃にごはんを作って 彼の帰りを待って 玄関先で「おかえり」「ただいま」って抱きしめ合いたい

 

 

 

そんな生活ができたら きっと幸せなんだろうなと日々思います

 

 

 

こんなことを考えながらいつの間にか眠りについて

目が覚めても きっと一番に彼のことを想います

 

 

おはようも おやすみも 貴方のためにあります

 

 

 

 

本当は 夢のなかでも 会いたい

 

タイトルなし

 

またひとり、大切な人を失いました。

 

理由は自分の情けなさでした。

 

どれだけ後悔をしてもしきれなくて、

謝りたくても謝れない

連絡を取ることも会うことももう二度と無いのだと思うと、呼吸さえまともにできない。

だからできるだけ考えないようにしているけれど、ふと頭をよぎってまた自分に失望します。

 

あんなに自分のことを好いていてくれて、つらいとき一番に頼ってくれていたのに、もうあの子が泣いているときに「大丈夫だよ」って声をかけて一緒に泣いてあげることもできない。

 

 

また涙が溢れてきます

 

この数ヶ月、半年近く、自分の周りから人が居なくなることが多くて、ずっと支えになっていた大好きな人も今は見えないところに居て、

 

人生はたくさんの出会いと別れがあるけれど、こんなに一度になくていいです

 

またあの子に会いたくて、

大好きなおじいちゃんに会いたくて、

話がしたい 声が聞きたい

今なにをしているのか

幸せで居てくれているのか

教えて欲しい。

 

 

どれだけ別れがあっても、また出会ってくれる人がいるのも確かで、一度は離れてしまったけれど また日々をあたたかくしてくれる人がいて、友だちも増えて 気軽に会おうと言い合える仲の人もいて、自分のことを好きだと大切に大切にしてくれる人がいます。

その人たちに嫌われたくない気持ちと好きでいてほしい好きでありたい気持ちが 自分のこころのなかに大きくあって、ひとりで抱えきれなくなりそうになる時もあります。

 

 

だれも居なくならないでほしい

だれも嫌わないでほしい

 

 

 

どうか、周りのみんなやもう会えないひとたちが今日もしあわせでありますように

 

 

此処から流れ星は見えません

 

 

 

ドロドロ

 

 

夏になりました。

 

 

 


今年も、まず最初に大好きな映画を観ました。

 

 

自分は友達とけんかすることが滅多に、というかしない人間ですが、一度だけ大きなけんかをした事があります。中学生のときでした。

 

 

 

理由こそ覚えていないけれど、泣きながら相手の女の子の家に電話をかけて ごめんねと言ったことだけは、鮮明に覚えています。そのけんかの時、学校の授業でサマーウォーズを観ました。ずっと、何をするにも一緒だったのに、お互いに口をきかなかったから、主人公の声優をする神木隆之介が好きだったその子と内容について話すことはありませんでした。話したいことは沢山あったのに。今でも当時の話をその子とすることがあります。きっとこの先、何年、何十年経ってもこうして忘れることはないのだと思います。夏が来るたびに思い出すのだと思います。

 

 

今年は、ある人と観ました。優しい言葉や自分の知らない言葉をよく使い、よく気がついて、あたたかくて涙脆い人です。案の定ラストシーンで泣いていました。エンドロールが終わって画面が真っ暗になるまで静かに観て、「良かったね」ってちいさい声で言う、やさしい人です。

 

 


自分は自信がありません。何に対してかと聞かれても、すべてと応える以外思いつかないほどに。

 

 

どれだけの人が自分のことを好いていてくれるかを分かっていながら、それでもなお自分は必要とされていないのだと勝手に思い込んで自分を責めて、可愛くないな、生きていていいのかな、と天井を見つめます。そんな自分のことを周りの人が知ったら、好きという気持ちとともに、みんな、何処かへ行ってしまうんじゃないかと、そんな気さえします。

 

 


こんなことを考えてしまうのも、久しぶりに読んだ太宰治人間失格のせいです。きっと。

 

 

好きな作家は誰かと聞かれたら、一番に太宰と言います。自分のこころの奥底にある真っ暗な塊を少しだけ溶かしてくれるような、それでいて、また人の弱さを、黒い矢を突き刺してくる。そんな救いのない作品たちを、太宰自身も含めて自分は好きなのです。

 

 

 

 


夏になりました。

 

 

 

外では今日も目が眩むほど太陽が輝き、人は暑さでぐったりとし、店の涼しい風を浴びれば安堵した表情を浮かべます。そんな様子を、劣等感と罪悪感につつまれた自分は今日も少し高いところから見下ろしては、覚束ない足取りでまた、ひんやりとした部屋に戻ります。どうしようもないドロドロした気持ちと一緒に。

 

 

煙とあかりと あたまの中

 

今日は 昨日とは違って肌寒いにも関わらず ベランダに出て、深夜に歩く大学生らしい男の子たちを見下ろしながら 煙草に火を付けます

 

少し曇っているから星は見えなくて、代わりに と言わんばかりにまぶしい真っ白な街灯で目を細めます

 

 

ここは 眠らない街 とまでは言わないけれど、ずっと明るくてまぶしくて 夜も眠るまでに時間がかかるから、ひとつのあかりもなく暗闇と星が瞬く空だけが広がって 本当に人のいない地元が あたたかい実家が恋しいような、そんな錯覚に陥っています

 

 

 

急に、誰かと一緒に居る ということが怖いと思いました

 

 

誰かを傷つけること、傷つけられること

 

好きになること、嫌われること

 

それでも誰かと居なければ生きられないこと

 

どうしようもなくて 泣きたくなります

 

 

自分は 他人に、自分を見せることがすごく苦手です

 

4年間 一緒にいたあの人でさえ ちゃんと知ってもらえていたのかどうかも、正直わかりません

 

自分の気持ちや伝えたいことを こうしてつらつらと文章にすることは出来ても、いざ言葉に 口にするとなると喉がきゅっと閉まって 上手く声が出せなくなります

 

他人が自分のことをわかってくれるとは 思っていません

 

だって いちばん近くにいる自分ですら自分のことがわからないなら、自分以外の誰かがわかるわけがない と思っているから

 

それでも、分かって欲しい 知って欲しいと思ってしまう厄介な性格を持っているのです

 

幼かったわたしは 近しい人にこそ こんな面倒くさいやつだと気付かれたくなくて、嘘をつくことを覚えました

 

それが 家族であろうと 恋人であろうと

 

その嘘が 後に自分を苦しめることになっても、誰かが傷つかなければ 好きなままでいてくれるのであれば、必要なときに そうしました

 

自分で 辻褄合わせをすることに少し疲れたような気がします

 

 

当たり前です

 

嘘をつくことは こころをすり減らすことだから

 

よくない癖です

 

頭ではわかっていても やっぱり知られたくないんだと思います 

 

でも、その嘘もいつかは誰かを傷つけることも 本当はわかっています

 

 

 

もしこの先 自分が誰かの隣にいるのなら、その人には 正直であってほしいです

本当の自分を見せるのは勇気がいるけれど、知られてしまったら嫌われてしまうかもしれないけれど、わたしがその人を幸せにしたいから 素直であってほしいなあ

 

そして 自分も ちいさなことでいいから幸せであってほしいと願いながら、ベッドに入ります。

 

 

 

今日で すべてが終わってしまうのに

 

 

酸っぱい

 

 

春は 嫌いです

 

 

 

この時期は 新しい環境になったりこれまでの環境から離れたりするひとが多いので、そんな周りを見て心臓がきゅっと苦しくなります

 

今年は同級生の子たちが大学を卒業して、各地に就職をすることが決まっているので 特に苦しいです

 

 

 

 

学生生活を早々と終わらせて そのままなんとなく日々を過ごしている自分を遠いところから見てしまって、本当になにをしていたんだろうって 数年を曖昧にしてしまったことを後悔します

 

 

 

 

なにをするにも早い遅いは関係ないと言うけれど、自分はどうしてもそう思えなくて 自分が自分を許してあげることがどうしても出来なくて、誰よりも何よりも自分のことを縛っているのは自分だってことを痛いほど感じます

 

 

 

普通に過ごせられたら、みんなと同じように大学生でいられたらなにか変わっていたのかなと 今考えてもどうしようもないことばかりが頭を駆け巡って、身体の奥から込み上げてくるものを必死に抑えて それすらも情けなくなく思えて、泣いてばかりの日常を送るんです

 

 

 

だから 春が嫌い

 

 

 

 

でも 春の匂いが本当に好きで、嫌いになりきれない自分のことがもっと嫌いです